大学院修了生紹介(1):博士号取得を出発点に国際的に活躍
20.03.19
〈最終更新 2020年3月20日16時〉
大学院音楽文化研究科のサイトをご覧の皆さん、こんにちは。
先日、博士後期課程を修了され学位を取得された、オルガン奏者 沈媛(シェン・ユエン)さんの活躍の様子が、NHKのドキュメンタリー番組で取り上げられました。このサイトでも3月2日のブログでご案内した通りです。番組をご覧いただいた方も多いのではないでしょうか。
そこで今回改めて、沈さんに大学院時代のこと、修了後の演奏/研究活動のこと、コンクールでのことなどをうかがってみました。
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――沈さん、こんにちは。沈さんは平成23年3月、「近・現代中国におけるパイプオルガン」をテーマとした博士論文と博士演奏により、博士(音楽)の学位を取得されました。
大学院時代を振り返って、研究はいかがでしかた? 苦労されましたか?
聖徳大学の研究期間は、困難と挑戦に満ちていました。しかし、私は一人ではなく、先生方からの丁寧な指導により、3年間で演奏と論文の審査に合格できました。
<平成23年3月の学位記授与式>
――指導や審査はどのような体制で?
高橋大海先生が私の論文スーパーバイザーグループのリーダーであり、徳丸吉彦先生、松居直美先生、高松晃子先生を始めとする多くの先生方に研究をご指導いただきました。特に、先生方が厳しく高度な要求をしてくれたことに感謝しています!
日本の学術レベルは世界的に有名で、厳格であり、レベルが非常に高いことから、日本で博士号を取得することは、ヨーロッパおよび北米でも意義のあることと認められています。
――聖徳大学だけでなく、ヨーロッパの大学でも厳しい研究生活を送られたのですね?
はい、私はドイツのベルリン芸術大学で2つ目の博士号を取得しました。日本で「頑張り屋さん」としての研究経験があると、世界のどこでも困難に遭遇することを恐れることはない、と誇らしく言うことがよくあります。
――聖徳大学大学院を修了されてからは、どのような活動をなさっていたのですか?
聖徳大学で博士号を取得した後、北京の中央音楽院に戻りました。中央音楽院は中国でトップの国立音楽院であり最高の研究機関です。ここで仕事ができることは私の喜びだけでなく、私のプレッシャーとモチベーションでもあります。
――その時の活動内容を教えてください。 パイプオルガンでの演奏活動が中心ですか? 電子オルガンも?
パイプオルガンと電子オルガンの両方の教育を成功させるため、2013年から「北京国際オルガン音楽祭」を開催し、2つの楽器を一緒に開発しました。
毎年、ヨーロッパ、北米、アジアの有名な教授が北京に招かれ、コンサート、講演、マスタークラスの講座などを開催しています。聖徳大学の岩井孝信先生、松居直美先生、加曽利康之先生なども、私が主催した音楽祭にご協力くださり、北京にお越しいただいております。この音楽祭には、毎年約400人の教師と学生が集まり、高度な学習とコミュニケーションが得られます。音楽祭でのコンサートには2,000人以上の人が集まります。
――先日NHKテレビでカナダ国際オルガンコンクールの特集がありました。沈さんにもスポットが当たっていて、大変話題になりましたね。世界でも有数のコンクールですが、振り返っての感想をお願いします。
カナダ国際オルガンコンクールは、オルガン分野の世界で、最も高い有料のコンペティションであり、学生だけでなく、多くの有名な若いパフォーマーも集めています。
私は自分自身を燃焼させるために私のエネルギーの200%を出しました。演奏家として、それは単に正しい音を弾くことだけではありません。健康を維持するために食べ物に気を遣い、体を鍛えました。
コンクールで演奏を成功させるためには3回の演奏会を行うエネルギーが必要です。さらにエネルギーを節約するために、本番に合わせた旅程を組み、それにあわせて飛行機やホテルを予約することも大切です。
――本番へ向けて、他にも努力されたことがありますか?
コンクールの前にドイツのベルリンへ練習に行きましたが、ベルリンの大聖堂で夜遅くまで練習できたことに感謝しています。毎日午後8時から午前7時まで練習していましたが、夜の大聖堂は暗く、オルガンには小さなテーブルランプしか使えません。ベルリンの夜はとても寒かったので、夜の練習に備えて必要な水、食べ物、電気毛布を持っていきました。
<ベルリン大聖堂にて>
――そんな苦労があったのですか。
ええ。暗かったため、私はある日の練習でオルガンの2階の階段から落ち、腰を負傷してしまいました。その後3時間練習を続けましたが、翌日ベッドで起きられませんでした。ドイツの医師は3か月間安静にする必要があると言いました。しかし、3か月後に演奏会が控えているため、1日も練習を遅らせることはできません。
――おや大変。それで?
私は医師に尋ねました。「非常に重要なコンクールがあります。アスリートのための鎮痛剤を処方していただけませんか?」と訴えを繰り返した後、医師はカナダに行くまで週に一度、腰に鎮痛薬を注射することを認めてくれました。
――良かったですね。様々な努力の後、本番に臨まれたわけですね?
カナダで演奏するとき、何人かのアジアのオルガン奏者が参加していましたが、一次予選後は唯一のアジア人になりました。しかし他のアジアのプレイヤーが私を応援してくれました。
コンクールの火と煙は演奏する瞬間だけではありません。強い心を持ち、練習でもプレッシャーに負けないよう、完璧な演奏を目指す訓練を行う必要があります。
――本番で最大限の力を発揮するには、確かに精神面の強さが重要ですね。
はい。困難を乗り越えるという点で、私は博士号を取得して聖徳大学大学院を修了した年を思い出します。ちょうど2011年3月で、東日本大震災の時でした。
――ああ、そうでした…。
聖徳大学は私のために学位記授与式を開催してくれました。まだ余震が多かったのですが、学長先生は一人の学生に学位記を授与してくれたのです。泣くほど感動しました。学長先生は「沈さん、あなたの演奏を聴きました。あなたは世界で活躍する音楽家になると思います。心からあなたの成功を願っています。」――この言葉が私を支えてくれています。
――今後はどのような活動をしたいと希望されていますか? 抱負をお聞かせください。
小学校から大学まで学生を支えるのは学校と社会だと思います。しかし、修士課程と博士課程の研究では、学生が社会を助けることができるかどうかを考慮する必要があります。修士号と博士号は、学生の就職を助けるためではなく、その学生が社会や学問に貢献できるかどうかを見るためのものです。
現在、私は2つの博士号を取得しています。私が行う音楽活動とすべての言葉は人々にとって本当に栄養になるのか、それとも無価値なのかと自問しています。
――深い問題ですね。
聖徳大学で指導してくださった徳丸吉彦先生が、博士後期課程の学生に教えた言葉を覚えています。「あなたが自問しなければならないのは、『あなたが書いた論文が100年後の人々にも有効なものですか?』ということです。」――この言葉に基づき、わたしは中国の音楽教育の繁栄のために頑張っています。まちがえた中国の音楽教育の繁栄であってはなりません。
――国際的に活躍されている沈さんだからこその思いがあるのですね。
日本にいる時、私は次のような文章を書きました。「私は橋になりたいです。橋になることは簡単なことではありません。橋が強くなるには、木の枝の代わりに石を使います。強力で壮大な橋は何百年もの試練に耐えなければなりません。橋は孤独でも、人々が反対側に到達する時に幸福を見ることができます。橋に脆弱や欠陥がある場合は修復することも重要です。中国と日本、中国とドイツ、さらには中国と世界をつなぐ架け橋になるために。」――これが私の将来の希望です。
――沈さん、力強いお言葉の数々をお聞かせくださり、ありがとうございました。今後の益々のご活躍をお祈りします。